「ただ にちじょうを あいしてくれればいい」
なんて良い言葉だろう。
代わり映えのしない、新味に欠ける、退屈な。
否定しようと思えばいくらでも否定できる「日常」を愛してほしい。
これはきっと、私がこれまでに出会ったヒーローたちに、ひとつだけ伝えたかった言葉なのだ。
『MECHANICA――うさぎと水星のバラッド――』 を始めると不思議な空間に放り出され、消えゆくだれかからそんな言葉を受け取り、物語が動き出す。
「日常を愛し続ける」
この言葉は作中で語り手や語り口を変えながら、何度も登場する印象的なフレーズだ。
本作はループする時間のなか、「日常を愛する」ことで宇宙を滅亡から救うアドベンチャーゲームだ。
私はこれまでいくつかのループもの作品に出会った。
そしてそのどれもが私の心に大きな傷跡を残した。
『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』に始まり、『STEINS;GATE』、『魔法少女まどか☆マギカ』、ちょっと違うが『新世紀エヴァンゲリオン』もそのひとつに入れておきたい。
その多くは絶望的なループを打破するため、ヒーローやヒロインは血を流し這うように進んでいく。
あるいは、日常の小さな違和感からループに気がつき、大きなうねりに飛び込んでいくこともあった。
「ただ にちじょうを あいしてくれればいい」
ああ、この言葉を『STEINS;GATE』に出会った2009年に、『魔法少女まどか☆マギカ』に出会った2012年に出会えていれば!
『MECHANICA――うさぎと水星のバラッド――』の主人公は、場末のバーで人を癒やす魔法の音楽を奏でる半端者だ。
そんな半端者の元にやってきたスーパーメイドロボ、メカニカ。
二人が出会ってからわずか3日後に大きな滅びが起き、仲良くループに巻き込まれる。
だが二人は気負わない。頑張りすぎない。
彼らが行うのは、「日常を愛し続けること」、それだけだ。
だが、日常とは「退屈な繰り返し」とほぼ同義として語られることも多い。
そんな日常を愛し続けることはできるのだろうか。
ああ、できるとも。
日常とはひとりだけで紡ぐことはできない。
日常とは人と人との間で紡がれていく。
日常を愛することとは、だれかを愛することに他ならない。
ゲームの舞台は、われわれのいる現実から約3000年後の未来の水星にある都市「ギロチンシティ」。
この街に住む人々こそ、日常を愛すべきものに変えてくれるヒーローだ。
記憶を剝奪された犯罪者、愛する人と文字通り一体となった同体婚姻主義<ヒュージョニスト>、触手を持つ奇妙な考古学者、ただの酔っぱらいにハイタッチマン。
宇宙が滅びるまでのたった3日では彼らすべてと仲良くなることはできないが、時間のループは味方してくれる。
何度も何度でも宇宙の滅亡を体験しながら彼らと過ごしていくなかで、ふとした瞬間、日常は愛すべきものだったことに気がつく時が私に訪れた。
最後にもう一度繰り返そう。
「ただ にちじょうを あいしてくれればいい」
冒頭に、私がこの言葉をヒーローにかけたかったと書いた。
だが、本当は自分がいってほしかった言葉だったのかもしれない。
『STEINS;GATE』で痛みと悲しみに悲鳴を上げながらループを走りきった岡部。
『魔法少女まどか☆マギカ』ですべてを犠牲にしながら、たった一人を救うためにループを重ねたほむら。
この言葉は、そんな彼らを泣きながら応援した私にループの中で繰り返される日常の尊さを伝えてくれた、ひとつの救いだったのだ。
※本稿は「ゲームとことば Advent Calendar 2021」のために執筆しました。
この企画を立ち上げてくれたいはらさんと、この企画に参加するすべての方に心よりの感謝を!
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