『The Quiet Man』は本当に狂気の問題作だったのか。父と子の物語として見ることでわかる言葉を超えた先にあるもの

 最新のトレイラーで自身を狂気の問題作と振り返った『The Quiet Man』は、あえてゲームの売り上げとして重要な発売週の評判を捨ててまで、なぜゲームの1周目から音声を抜き去ったのでしょうか。


 物語の全容を解き明かす「The Answered」と呼ばれる2周目をプレイできるようにあったのは、リリースから1週間後の11月8日です。
 2周目の開放を記念して11月8日にはプロデューサーの藤永健生氏と開発者、スペシャルゲストの4人で行った公式生放送では、1周目の内容を丸々公開しています。

 他にも、シリアスな内容のゲームにもかかわらず「クワマンチャレンジ」と称して画像や動画で大喜利を行うなど、普通の感覚では理解しがたいプロモーションを行っていた『The Quiet Man』。そういった意味では「狂気の問題作」と言えるでしょう。

では、こういった姿勢から本作が駄作だからふざけて炎上マーケティングを狙ったり、やる価値がないからと音のない1周目を無料で公開したのでしょうか。
私は否だと思います。本作は極めて真剣に作られたゲームであり、製作者たちの揺るぎない信念を感じる作品です。

本稿では『The Quiet Man』の謎の多くを無視し、ゲームが伝えようとした心と心、魂と魂が言葉を超えて共鳴する2人の人間の姿を紐解いていこうと思います。
果たして、本当に愛は言葉を超えて伝わるのでしょうか。そしてゲームというメディアは、それを表現することができるのでしょうか。


『The Quiet Man』の1周目をプレイするべき理由







 『The Quiet Man』の準公式ツイッターアカウントでも、音声のない1周目は苦行であることが認められ、前述の通り無料で見ることもできます。しかしそれでもなお、2周目に入る前にかならず1周目をプレイする必要があります。
 もちろん嫌がらせではありません。それはどんなに苦行であっても、プレイヤー自身の手でプレイすることに意味があるからです。
 ほぼ無音の『The Quiet Man』をしばらくプレイしていると、ろうあ者のはずの主人公Daneも手話と読唇術で他の人と意思疎通ができ、言葉さえ発するシーンを何度も見るはずです。
 なぜ自分だけ音が聞こえないのかという疎外感。プレイヤーの分身であるはずの主人公とすらも同調できず、1周目でプレイヤーはひとりぼっちになってしまいます。プレイヤーが体験する、誰ともわかりあえない無音という世界。人生の多くの時間を掛け、主人公が体得した手話や読唇術と言ったスキルを抜きにしてみましょう。この世界こそが主人公が見ている世界そのものです。
 もし、読唇術が使えて海外の手話を理解できるプレイヤーは、1週目の時点でストーリーの多くを理解出来るでしょう。ただ、少なくともこのゲームをプレイした方のほとんどはそんな技術を持っていないでしょう。
 『The Quiet Man』はプレイヤーと主人公をリンクさせるために、セリフや地の文によるものではなく、ただ無音な世界という共通点でつなげようとします。1周目を終えたプレイヤーは、きっとこの無音の世界に怒りを感じたり、疎外感や無力感を感じたことでしょう。

主人公とプレイヤーは、言葉でなく同じ世界を見ることで繋がる

生の主人公は超人的な能力を持つヒーローではなく、ただ耳が聴こえないというハンデを背負った普通の人です

 そんな感情を抱いていたのは、同じ無音の世界を体験する主人公も同じです。主人公を含めた全てのセリフが開放された2周目で、プレイヤーと主人公は無音の世界を乗り越えて怒りや疎外感で結びついていたことを理解できるでしょう。
 1周目の主人公は、耳が聴こえないというハンデを背負いながらそれを乗り越え、意思疎通だけでなく常人を遥かに超える戦闘能力を身に着け、大切な人を救おうとするスーパーヒーローでした。
 2周目でわかるのは、そんなスーパーヒーローが抱えていたのは、1周目でプレイヤーも抱えていた「どうして聞こえないんだ」という、怒りとも悲しみともつかない悲痛な叫びでした。
 耳さえ聞こえていれば母親は死ななかったかもしれません。マフィアとつながりを持ち、暴力の中で生きる今の生活ではなく、もっと人並みの幸せの中で暮らしていたかもしれません。

 もうひとつ1周目でプレイヤーが体験する重要な事実があります。前述した「主人公は唇を見ることで音を見ることが出来る」ということを、プレイヤーが体験として理解することです。上記ののツイートではどうするか迷ったと紹介していますが、1周目は実際のところ主人公は読唇術がすごい人と理解しても何も問題はありません。
 前述の通り、例えどんなに優れた技術を持っていたとしても、音が聞こえないというハンデを背負った普通の人であるという点は、この2周目で描写されるからです。




主人公に投げられた、唯一絶対に見えない言葉

 苦行だった1周目を終えて2周目を始めると、主人公が見ていた世界ではなく、理解していた世界を追体験できます。誰がどのような声を発しているかがわかり、アクションシーンではBGMまで流れるようになっています。

 1周目に比べると2周目はストーリーの全貌がわかり、BGMだけでなくヒットサウンドのようなSEもきちんと流れるため、全体的には普通のゲームになります。そこでプレイヤーが見聞きするのは、言葉は通じても心が通じない人々の起こす悲劇の繰り返しです。

 2周目で描かれるのは、言葉の無力さです。


 2周目の中でももっとも重要な情報は、主人公とAsh警部補との関係です。1周目で気がついた人もいるかも知れませんが、2周目に入ってから彼らが親子であることを知った人も少なくないのではないでしょうか。
 主人公の幼少期の2人の関係は、1周目で予想できるものとは真逆だったという人もいるかもしれません。幼い主人公にはどうしようもなかった妻の死を執拗に責め続ける父親は、私が1周目をプレイしたときには当時の主人公を励ましているように見えていました。

 冷静に考えれば全くの筋違いですが、現実の世界にはもっと理不尽に自分の子どもを責め、暴力を振るう親の話は枚挙に暇がありません。筋違いではあっても理由が描かれているだけ幾分マシと言えるかもしれません。



若き日のAshは、妻の死の責任を息子になすりつけました。自責他責の圧力は、幼い主人公に歪んだヒーローを生み出させる

 父親とはいえひとりの人間。Ashの弱い心は自らと息子を歪めてしまいます。また、主人公も己が許せず、いつか自分が思い描いたヒーロー「Quiet Man」になるべく暴力性を磨き続けます。無敵のヒーローとしてさまざまな悪漢と戦っていたはずの主人公は、実は歪んだ理想に取り憑かれながら、過去を乗り越えようとあがいていました。
Ash警部補は皮肉で言ったのかもしれないし、本当に託そうとしたのかもしれません
Ash警部補は、最後に「Quiet Man」として息子の前に立ちはだかります
 そして長い時間歪み続けた親子は、母親にそっくりなLalaという女性を中心に、どちらが彼女を救うかという戦いに発展します。
 Ashの気持ちを利用してLalaは自分の狂言誘拐を企てます。妻を助けることが出来なかったAshにとって「助けて」という言葉は、彼を骨の髄まで利用できる殺し文句だったのでしょう。
 一方、Lalaにとって主人公の存在は救いでありながらも、今回の事件ではもっとも関わってほしくなかった人物だったのかもしれません。
 歌姫Lalaが自らのために狂言誘拐を企てたことを利用して、Ash警部補は「Quiet Man」を模したマスクをかぶって狂言誘拐の片棒を担ぎ、その傍らで主人公を含め妻が死ぬ原因となった人間を罠にはめ、彼らをまとめて始末しようとしたというのが『The Quiet Man』の事件の全貌だと理解しています。
 計画は徐々に狂い、最終的にAsh警部補は守るはずだったLalaを付け狙う人間となります。どこまでがAsh警部補の狙いだったかはわかりませんが、最終的に主人公の前に主人公が生み出したダークヒーロー「Quiet Man」として立ちはだかることになります。
 しかし、主人公の前に立ちはだかったのはダークヒーロー「Quiet Man」でもなければ、妻の幻影に惑わされる弱い人間でもなく、息子を救おうと身を挺した1人の父親でした。
 2周目の最後の戦いの中で、Ash警部補は父親としての心情を吐露していきます。弱い自分を悔い、取り返しの付かないことをしてしまった息子のため、あえて悪役として振る舞う父親の姿です。
 彼は自分の過ちで息子の中に生まれた悪魔「Quiet Man」を、息子が自らの手で倒して過去を乗り越える手助けをするために戦います。
 1周目をプレイしたときはきっと多くのプレイヤーが事件の黒幕が判明し、犯行を完遂するために現れ、そして主人公と戦ったと思ったのではないでしょうか。他にもさまざまな意見がある場面だと思います。そして答えもその数だけ存在しているはずです。
直前に撃たれたはずの主人公はどこからも血が流れていません。一方Ash警部補の撃たれた傷はそのままです。Ash警部補は死を顧みず主人公を「Quiet Man」から救おうとしていたことがわかるシーンです

言葉を超えたその先にあるもの

 ゲームはこうして終焉を迎え、エンディングではかつてあった家族の絆が描かれます。1週目ではどう取っていいのかわからないシーンだったかもしれませんが、2周目を終えればこれらの写真がどういった意味を持っているのか理解できるでしょう。
 けっしてはじめから狂っていたわけではなく、幸せな家庭を築く未来が用意されていたはずの普通の家族の姿です。
 ラストバトルの演出は、言ってしまえばとても陳腐なものです。これまで敵だと思っていた相手が主人公のために命を賭けて救おうとしている姿を、行動ではなく言葉で語ってしまっているからです。
 しかし、1周目を乗り越えたプレイヤーは、この言葉が主人公に伝わっていないことも同時に理解するはずです。なぜなら、読心術で相手の言葉を読み取るDaneには、仮面を被り「Quiet Man」となったAshの言葉は絶対に聞こえないから。
 2周目は事件の全貌を明らかにする一方でもうひとつ、主人公に何が伝わり、何が伝わらなかったかを解明するための役割を持っていました。
 さて、ここでひとつ疑問が残ります。確か言葉を超えて伝えようとされていた愛はあったかもしれませんが、果たしてそれは本当に伝わったのでしょうか。

言葉を超えた先に広がるもの

 その答えは2周目が終わり、エンディングが終わった後に示されます。罪を償い刑務所を後にする主人公を出迎えるのは、他でもないAsh警部補です。大切なものを失い、取り返しのつかない間違いを犯し続け、それでもなお前へ進もうとあがいた2人は、ようやく人生の第2ラウンドを家族として歩むことになるのでしょう。
 本作が描こうとした「言葉を超えた先」に何があったのか。もうお分かりだと思います。

『The Quiet Man』が描こうとしたものとは

 以上が私が考える『The Quiet Man』です。あまりにも挑戦的な内容であったため、多くの人にはただのクソゲーとして映ったゲームですが、私にとってはあまりにも衝撃的な内容、描こうとしたものの困難さ、そしてそれを伝えきった傑作として残る出来でした。
 確かにアクションシーンは説明不足、ストーリーは謎だらけです。しかし、こうして父と子の物語として見ていけば、全く過不足なく描写された物語だったと私は確信しています。
 本稿があなたにとって『The Quiet Man』を考え直す機会になることを願って、この記事を終わろうと思います。
追記:本文に入らなかった『The Quiet Man』の疑問について
Q.テイに撃たれたはずの主人公はなぜ死んでいなかったのか
筆者はフィクションを「ご都合主義をより美しく描くため」の土台と考えています。シリアスな物語は、おおよそ雪だるま式に逃れ得ぬ悲劇が大きくなっていきますが、特に誰かが誰かのために命をかけて行動したのなら、ひとつくらい奇跡が起こってしかるべきです。よって、主人公が生きていたのは奇跡と考えます。
Q.母親の死のあまりにも取るに足らない原因について
お話を考えるにあたってどれほどドラマチックな死を与えられてもいいはずの母親が(例えば、主人公をかばって死に、主人公はその時音を失ったという話だったとしても驚きはありません)、スニーカーを巡った喧嘩の結果となったのは、最終的に巨大な悲劇となる事件なら、きっかけはより些細で取るに足らない理由のほうが自然だと考えます。

コメント

  1. 匿名 より:

    はじめまして。福井市在住の大嶋昌治(おおしままさはる)と言います。聖書預言を伝える活動をしています。

    間もなく、エゼキエル書38章に書かれている通り、ロシア・トルコ・イラン・スーダン・リビアが、イスラエルを攻撃します。そして、マタイの福音書24章に書かれている通り、世界中からクリスチャンが消えます。その前に、キリストに悔い改めて下さい。2020年を悔い改めの年にしてください。携挙に取り残された後のセカンドチャンスは、黙示録14章に書かれています。

    管理人様が、携挙が起きる前に、イエス様を救い主として信じて、私達と一緒に携挙に挙げられる事を願っています。しかし、もしも管理人様が携挙に取り残されたなら、反キリストの嘘に騙されないようにしてください。

    反キリストとは、携挙が起きた後に現れる世界統一政府の指導者です。反キリストは悪魔の代理人であり、世界中の人達を騙して、永遠の地獄に突き落とそうとします。反キリストが新世界秩序を宣言してから3年半後に、人々に獣の刻印(666)を受けさせようとします。絶対に受けないでください。

    反キリストが獣の刻印を受けるように命じてきたら、バイオショックのアトラス(フォンテイン)の言葉を思い出してください。主人公がライアンを倒して、遺伝子キーを自爆装置に差し込んだ直後に、フォンテインは言います。

    「よくやったな!さあ、このお芝居も終わりだ。すまんな、アトラスなんて存在しないんだ。最初からな」

    この言葉は、反キリストが獣の刻印を受けさせるために人々を騙し通して、ついに受けさせる事に成功した人達に向かって言い放つ勝利宣言の言葉そのものです。なぜなら、獣の刻印を受けた瞬間に、永遠の地獄が確定するからです。

    よく覚えておいてください。繰り返しますが、管理人様にとっての最善の道は、携挙が起きる前に、悔い改める事です。そうすれば賜物として聖霊を受け取ります。しかし、もしも携挙に取り残されたなら、獣の刻印を拒否して、イエス様にあって死ぬことです。つまり黙示録14章13節の実行です。私のコメントを、心と記憶に刻み付けてくださいませ。

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