「Gone Home」で描かれたもうひとつの物語。悪役である父親に焦点を当てるため、もう一度”帰宅”しよう

※「Gone Home」の強度のネタバレ、「Tacoma」の軽度のネタバレを含みます。

Fullbrightの「Gone Home」がリリースされてからそろそろ6年になる。”ウォーキングシミュレーター”という蔑称をひとつのジャンルへと昇華し、戦闘もパズルも無い、ただ家の中を歩き回るだけのゲームですらゲームたりうることを証明した、歴史的にも重要な作品のひとつだ。

 「Gone Home」では両親や学校の人々と、ティーンエイジャーで同性愛者のサムとの軋轢が描かれる。彼女が両親や家族といった既存の常識の象徴に立ち向かい、パートナーとなるロニーとともに、ひとりの人間として歩き出す物語だ。
 90年代はさておき、2010年代の常識では家族の不理解は理不尽に思える。学校で陰湿ないじめに立ち向かい、ひとり罰せられたサムは、家族からはロニーとの愛を否定され居場所を失っていく。私を含め、なんと不理解な家族なんだろうと思った方も多いだろう。では、果たして家族、特に無理解な態度が強かった父親テレンスは、ただ物語を盛り上げるための悪役だったのだろうか?

 すでにテレンスについての考察はなされているものの、少なくとも日本では「Gone Home」の裏にあるもうひとつの物語について語られることはあまり無いように思える。その物語と、そしてFullbrightの新作である「Tacoma」を振り返ることで、Fullbrightの持つ、人を信じる優しい視線を見出すことができるだろう。本稿では、「Gone Home」で悪役を演じたテレンスに焦点を当ててみたい。

「Gone Home」が始まる少し前まで、テレンスを中心に家族は崩壊の危機に陥っていた。”気狂い屋敷”を相続し、新たな生活が始まるもテレンスは小説家としては失敗する。酒に逃げ、家電の紹介文でかろうじて糊口をしのぐ状態。妻のジャニスは森林管理官として成功し、同僚である男性と親しくなっていく。サムについては前述のとおりだ。
相続する、というだけにテレンスは幼少期にこの屋敷で過ごしたことがある。一言で言えば、テレンスの”帰宅”は最悪の状態だった。

気狂い屋敷のゆえん、テレンスの著作のテーマであるジョン・F・ケネディの暗殺、そして彼の持つ強固な同性愛への拒否感。作中時間である95年から約30年前、1963年を中心にして、これらは全てつながっている。

1963年、気狂い屋敷のゆえんと同性愛への強い拒否感

1963年にテレンスに一体何があったのか、ゲームでは状況証拠と手紙を元に想像するしか無い。テレンスは1957年ごろから叔父のオスカーの住む”気狂い屋敷”と呼ばれる前のこの屋敷に毎年訪れていた。幼いテレンスは、自分を溺愛するオスカーの家に遊びに行くことが楽しみだったようだ。
1959年にはオスカーが経営するメイサン薬局で、子どもたちのためにソーダマシーンとアイスの販売を始めている。町のニュースにもなり、最初に提供されたのはテレンスのために作ったチョコレートサンデーだった。

しかし、そんな仲のいい叔父と甥の関係は1963年を境に終わってしまう。ゲームで詳しい話は登場しないが、地下室の奥深くにしまい込まれたモルヒネや注射器、ある事件を機に家族の縁を切られたオスカーの懺悔の手紙、そして子供のおもちゃが置かれている暗い部屋だけが、何があったかをほんの少しだけ語っている。なお、薬品と手紙が収められた金庫の暗証番号は「1963」だ。

最後の一枚はわかりやすくするために明るさを最大にして撮影している。暗闇の中には不自然に塞がれたドアと薪の山、そしてなぜか子供のおもちゃが置かれている。状況証拠だけを見ると、1963年を最後に突如としてテレンスは屋敷を訪れなくなり、オスカーは家族から縁を切られるほどの罪を犯したことだけが見えてくる。屋敷を相続するきっかけとなったオスカーの死を新聞は「町に誇る素晴らしい人物が死去」という調子で伝えているため、事件は公にはなっていないようだ。
だが、こういったスキャンダルはどんなにごまかしても噂として広がる。気狂い屋敷のゆえんは、この事件が大きく関わっていると見て間違いないだろう。

ここからは完全に想像に過ぎないが、おそらくオスカーは1963年にテレンスに性的虐待を行ったのではないだろうか。テレンスが持つ同性愛への強い拒否感は、この経験がもととなったのだと考えている。
私の探索が至らなかったのか、あるいはもともと語られていないのか、相続したとは言え、なぜ彼がこの屋敷に帰ってきたかまではわからなかった。だが、ゲーム中に散りばめられた証拠を集めていくと、彼は当初からこの記憶と戦っていたように思える。

書架にはティーンエイジャーとなった家族と付き合うための本が置かれていたり、学校に馴染めない娘のために友達の作り方を指南する本をプレゼントしていた。仕事である家電製品のレビューに長々と自分の少年の頃の思い出を書いたことを、クライアントに咎められている手紙もある。新作の執筆も含め、これらは不器用ながらも家族を愛して自分の過去と戦おうとしていた証左となるだろう。
虐待のトラウマは、新たな虐待を生む負の連鎖になることがままあるが、少なくともテレンスはなんとか自分一代で打ち切った。

サムとロニーとの仲も、二人の関係がわかった後もいびつな形ではあるが認めている。ドアを閉めないようにとプライバシーを侵害するが、少なくとも締め出しまでは行っていない。否定しながらも否定しきれない、90年代の流儀ではあるだろうが、娘のことを認めようと懸命に努力していたと言えるのではないだろうか。

テレンスと彼の「偶然の」シリーズのテーマ

テレンスの著作「偶然の」シリーズは2作ともJFKを救うひとりの男の姿が描かれる。最初に出版された作品の評判はあまり高くなかったが、なんとか2作目も出版。しかし、出版社の目標売上を下回った1作目よりさらに売れず、3作目の出版は断られている。

「偶然の」シリーズを出版したマーキュリーブックスは、後に倒産していることが判明する。彼と彼の著作を救ったのが”未知なる次元の文学出版社”だ。マーキュリーブックスは倒産、テレンスも住居を移しており、著者の捜索は困難を極めたことは疑いがない。しかし、未知なる次元の文学出版社は彼を見つけ出し、「偶然の」シリーズを高く評価、復刊したいと伝える。
ゲームでは「偶然の」シリーズが表紙を変更してふたつ用意されている。黒をベースにした表紙のマーキュリーブックス版は書架の中などいたるところに積み上げられており、白をベースにした表紙の新装版は食卓のすぐ近くに置かれている。

スランプに陥っていたテレンスは出版社に深く感謝し、「偶然の」がまだ終わってないことを理解する。契約では2作を再販するだけだったが、出版されるか否かにかかわらず、彼は難航していた続編と再び向き合う。同じようにJFKを救う物語を作ろうと暗中模索していた暗い書斎から、明るく緑の多い屋根のある庭へと執筆する場所も移している。出来上がった新作のタイトルは「偶然の人間」。
前作でJFKを救った20年後、主人公の冒険の記憶が思い出に変わっていった頃、彼の前に再び時空の裂け目が現れる。そして、今度は他の誰でもない自分を救うため、時空の裂け目に飛び込むというストーリーだ。

ゲームにはもうひとり、彼の著作を高く評価した人物が登場する。テレンスの父、サムと主人公から見れば祖父に当たるリチャード・グリーンブライアだ。彼は多数の著作を持つ成功した作家であり、小説を見る目も確かだったようだ。リチャードが息子に贈った評価は以下のようになっている。

”主題の中に確かに息子の存在を感じた。作品には著者の恐れているものが現れる。虚飾をそぎ落とせばさらに良いものになるだろう。”

この評価はテレンスを深く傷つけたようだ。すぐ近くには顔が切り取られたリチャードの肖像が置かれている。いつ行われたかはわからないが、テレンスがそうしたのだろう。
しかし、やはりリチャードの言葉は正しかった。「偶然の」シリーズはこれまで1963年に戻り、JFKを救うという点で共通していた。そして、最新作である「偶然の人間」でも、過去に戻り誰かを救うという点は引き継がれている。あらすじには書かれていないが、最新作でもやはり1963年に戻ると見て間違いない。主人公が救うのは主人公自身だ。
歴史の転換点で大きな変化のために戦うというヒーロー然とした虚飾を削ぎ落とし、ストレートに”1963年の自分を救う”という主題を全面に押し出した作品だ。

サムとテレンスはよく似ている。サムも作中で何度か出ているように、人付き合いに対して不器用な面が見える。お互い物語を書くことが好きな点、そしてテレンス同様サムの書いたアレグラ船長の物語も、彼女の人生が色濃く反映されているという点で両者は創作のスタンスも似通っている。幼い日に書いたサムの物語には、父親のために戦う船長の姿が描かれている。父の影響を受けて物語を書くほど2人は親密だったことがわかる。
ゲームの最後にサムは独り立ちをするが、いつかお互いがお互いを認められる日が来ることを祈るばかりだ。

そして願いは新作へ。Fullbrightの優しい人間観

願うと書いたが、実はこの願いが叶っているだろうことが、Fullbrightの最新作である「Tacoma」でほんの少し描かれている。1995年から約100年後の未来を描く「Tacoma」だが、そこでは同性婚が普通のこととして誰もが受け入れている。普通のことだから物語としてもサラリと流す程度だ。

95年の話である「Gone Home」では、”もしかしたらグリーンブライア家のような衝突を生みながら、少しずつ変われるかもしれない”と撒いた種が、2088年の「Tacoma」で”様々な人々の衝突や努力の結果、もしかしたらこう変わっていけるかもしれない”と花開いた、Fullbrightの希望ある優しい人間観を象徴するものだと私は考えている。

参考
The Transgression – You Can Do Better
THE DARKER STORY OF GONE HOME
Terrence and Oscar: The Gone Home Story No One Talks About

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