シューターの歴史的に大変価値ある資料のため、一部端折りつつ紹介させていただきます。本文は会話形式ですが、本記事ではそれらの大意をまとめています。
2018年8月23日に『ゴールデンアイ 007』(以下ゴールデンアイ)がNINTENDO64でリリースされてから21年が経った。それを記念してMelmagazine.comにて当時の開発者を招いたインタビューが掲載されている。インタビュワーにKotaku.comのChris Kohler氏、当時の開発メンバーからKarl Hilton氏、Mark Edmonds氏、David Doak氏、GoldenEyeVault.comというModdingサイトを運営するMitchell K.氏、そして『ゴールデンアイ』スピードランチャンピオンであるDerek Clark氏が参加した。
シングルやマルチプレイヤーの開発話からスピードランのようなコミュニティの活動まで、さまざまな視点から当時と現在の『ゴールデンアイ』の姿を振り返る。
『ゴールデンアイ』は当初、スーパーファミコンでリリースされた『ドンキーコング』のような一人プレイ用の2Dのサイドスクロールゲームとして計画されていたが、ディレクターのMartin Hollis氏の提案により最終的にFPSとして製作されることが決定した。しかし当初は「ありきたりのライセンスゲーム」のひとつとして考えられており、今日でも評価されるスマッシュヒットになるとは誰も予想ができなかった。本作は『スーパーマリオ64』、『マリオカート64』に続くNINTENDO64で3番目に売れたゲームとなった。なお、第4位は『ゼルダの伝説 時のオカリナ』である。
『ゴールデンアイ』開発を振り返って
『ゴールデンアイ』の開発がスタートしたのは95年だ。95年はまだNINTENDO64はまだ完成していなかった。そのためチームは開発中の新しいコンソールが一体何ができて何ができないのかすらわからない手探りの状態で開発に着手することになる。『ゴールデンアイ』は開発初期はまだNINTENDO64のコントローラーも完成しておらず、セガサターンのコントローラーを改造したものを使っていた。
先の見えないスタートではあったが、開発メンバーは20代から30代の若手が多く、彼らは自身の力を世に示す気力に満ち溢れていた。加えてすでに映画が公開されており、柔軟な開発期間を得ることができた。
開発チームのほとんどが独身でゲーム制作に多くの時間を費やせたことも大きかった。開発の最後の数か月は週に100時間以上働くことも珍しくなかった。チームのメンバーは大きなチャンスをつかんだが、本当にそれが良いことなのかわからず、自分を詐欺師であると感じるインポスター症候群※になっていたと開発者のひとりであるDavid Doak氏は当時を振り返る。
※自分の力で何かを達成し、周囲から高く評価されても、自分にはそのような能力はない、評価されるに値しないと自己を過小評価してしまう傾向。(HRProより)
『ゴールデンアイ』開発チーム。何となく見覚えがある方もいるかもしれない。彼らはゲームの中にモブキャラクターとして登場する |
開発チームは『XPilot』や『DOOM』、『ボンバーマン』、『Battle Zone』といった対戦ゲームのファンであり、地元のセガワールドで『デイトナUSA』や『バーチャコップ』で時間とお金を浪費していた。
『ゴールデンアイ』もFPSではなくゲームセンターで遊んだ『バーチャコップ』や『タイムクライシス』に影響を受け、ガンシューティングゲームとして作る予定だった。
開発がスタートした95年は、初の完全3D FPSであるid Softwareの『Quake』のリリースの1年前である。ノウハウや参考にするゲームが全くない中で『ゴールデンアイ』の開発は始まったのだ。
まだガンシューティングとして製作が進んでいたころ、Martin Hollis氏が製作していたヒットテスト用のコードに、ゲームプレイとエンジンのプログラマーだったMark Edmonds氏が簡単な立方体のヒットボックスを追加して、キャラクターの四肢やマップに配置される小道具を実際に撃って破壊できるようにした。
ゲームの大まかな方向性はあったものの、絶対に従わなければならないグラウンドデザインはなかった。もし誰かが面白いことを考えつけばそれをテストし、問題点を探すというサイクルを繰り返した。
例えば、ゲームに登場する重要ではないキャラクターはすべてレアの社員をモデルにして作られている。ゲームでは二重スパイであるドーク博士というキャラクターがいるが、これは開発者であるDavid Doak氏がモデルになっている。こういったアイデアはゲームを開発しているときに思いついたものだ。
射撃システムの開発では、敵を撃ったときに噴水のように大量に血が出るようにするアイデアもあったが、最終的にはキャラクターに血のりがつくといった程度にトーンダウンすることになった。任天堂とはゲーム内で大量の殺人が起きることを危惧しており、そのために『ゴールデンアイ』がジェームズボンドの映画に基づいたフィクションであることを人々に思い起こさせるいくつかの提案を行った。
Martin Hollis氏は以前行われたガーディアン紙のインタビューでは「ゲームの最後にジェームズボンドが病院で戦ったすべての敵と握手をして回るのはどうだろうか」と宮本茂氏からアドバイスをもらったことを語っている。
しかし、NINTENDO64はこれまでの典型的な任天堂のゲーム機ではなく、依然と比べ格段に成熟したビデオゲーム市場での任天堂のさらなる成長につながると考え開発を続け、最終的には今の形となって世に出ることになった。血が大量に噴き出るようなアイデアを捨てたのは、10代のプレイヤーでも購入して遊べるようにすることが重要だったからだ。
もうひとつ思い出深いアイデアとして、NINTENDO64コントローラーの裏面のコネクターを銃のリロードに使うというものがあった。コネクターには接続を検出する機能があったからだ。しかし、実際にテストしてみると「ゴミ」だったとDavid Doak氏は語った。
開発初期段階にチームがNINTENDO64の代わりに使っていた100万ドルのグラフィックスマシン「The Silicon Graphics Challenge XL」 |
多くのプレイヤーをとりこにしたマルチプレイモード
『ゴールデンアイ』はシングルプレイ以上にマルチプレイにたくさんの思い出が残るファンは多いのではないだろうか。映画『007 ゴールデンアイ』を忠実に再現していれば誕生しなかったであろうそれは、開発チームがNINTENDO64に4つのコントローラーポートが備わっていることに気が付いてから任天堂に内緒で作った。最終的に任天堂に見せたのはリリースの直前だったという。
『ゴールデンアイ』にマルチプレイモードを搭載することは長くウィッシュリストに入っていたが、絶対に入れようとしていたわけではなかった。NINTENDO64に4つのコントローラーポートがあることがわかったときも、分割画面での対戦というアイデア自体はあったものの、時間があったらプログラムを作ろうといった程度の優先度だった。
Edmonds氏はマルチプレイモードを実際に作る前に4分割でレンダリングするコードを完成させており、メインゲームの製作を終えた別の2人のメンバーが製作に当たったという。完成したデモバージョンをプレイしたEdmonds氏は、みんな楽しんでいたがゲームを変える要素になるとは思わなかったと語る。
とはいえ、このデモによってスコアボードを作り、もっとたくさんのゲームモードを導入するなどといった本格的な開発が始まった。
キャラクターゲームとライセンス料
残念ながらゲームに搭載されることはなかったが、ショーン・コネリーやロジャー・ムーアといったほかのジェームズボンドとしてシングルプレイヤーをプレイする案もあったという。ライセンス料といった問題で実現には至らなかった。しかし、『007 ゴールデンアイ』以外の『007』ユニバースからキャラクターを登場させるというアイデアは、敵役やマルチプレイのキャラクターとしてオッドジョップやサミディ男爵、ジョーズといったキャラクターを登場させることとなった。
今日では多少の問題を抱えながらもあまり気にされなくなった銃器のライセンス料だが、実銃が登場するFPSが珍しかった当時はそちらでもライセンスについてどうなるかわからなかったという。レアとしては不本意ではあったようだが、任天堂法務部の意向もあり最終的には名前を変更されることになった。
その中でもスコーピオンとして知られるVz 61はゲーム中にKLOBBという名前で登場する。これはNIntendo of Americaの社員で『ゴールデンアイ』の開発にも協力していたKen Lobb氏からとったという。理由は「うるさくて精度が悪いから」だそうだ。
楽しいチートタイム。オッドジョップもチート
情熱的なチームと柔軟な締め切りのおかげでゲームには様々なアイデアを導入することができた。ペイントボール、空手チョップ、ビッグヘッドモードやオッドジョップはこのような開発環境でしか実現できなかっただろう。
ゲームの近接攻撃であるチョップは、開発段階ではもっと致死性のある見た目だったが、最終的には少しユーモラスなものになった。チョップの動きの面白さが、チョップのみの対戦ルールを作ることにつながったという。
対戦においてオッドジョップの小ささは有利に働いた。というのも、敵に照準を合わせることを手助けするオートAIMがオッドジョップの頭より高い位置に照準を合わせてしまうのだ。映画『Ready Player One』では、主人公の好きなゲームに『ゴールデンアイ』が挙げられ、オッドジョップでチョップ縛りという話が出るなど、ビデオゲーム文化のひとつとして人々の心に残っている。
オッドジョップの使用がチートであることは開発者であるHilton氏とEdmonds氏も認めているが、彼を選んだ友人をゲーム外で罵倒してパンチしたり、あるいはゲーム内で倒したりすることは非常に楽しいと語っている。もちろんチートキャラを止めることもできたが、プレイヤーたちの作るルールを邪魔するよりは今の形にした方がよかったのだろう。
『ゴールデンアイ』リリース後、世界はどう変わったのか
95年から開発が始まった『ゴールデンアイ』は97年8月23日(日本国外では25日)にリリースされた。NINTENDO64発売から1年後で、映画『007 ゴールデンアイ』公開の2年後のことだった。
全世界で800万本の売り上げとなり、現在ではD.I.C.E. Awardsと呼ばれるInteractive Achievement Awardsではベストコンソールゲームを含む4つの賞に輝くなど大きな評価を受けた。
また、ゲームがリリースされた97年ごろから、それまで「DOOMクローン」と呼ばれDOOMの模造品とされていた一人称視点のシューティングゲームが、First Person Shooterというひとつのジャンルとして呼ばれるようになったことがRedditの読者の調査で示唆されている。
Hilton氏はこの成功をチーム全員が驚いていたと振り返っている。まだこのゲームにはたくさんの改善したい点が残っていたからだ。記憶が少しあいまいながら当初は100万から200万個のカートリッジしか生産しておらず、完売した後も店頭でゲームを探す人の様子を伝え聞いていたという。
Mitchell K.氏は当時はゲームが高価で、一本のゲームを数か月も遊んでいたと語る。レンタルショップのブロックバスターや友人からゲームを借りて吟味し、その中でも最高のものだけを買っていた。発売前はほとんど注目しておらず、マルチプレイを遊んだ最初はあまり面白いとは思わなかったそうだが、「秘密基地」マップを大型のプロジェクションスクリーンで見たときに考えは変わった。どこも売り切れで翌年の1月までゲームを手に入れることはできなかったという。
Clark氏は、やはり「ブロックバスターテスト」で『ゴールデンアイ』は合格しすぐにゲームを買ったという。『Turok』をプレイしていたもののこのジャンルにはあまり興味はなかったが、『ゴールデンアイ』はマルチプレイを夢中で遊ぶことになった。ダイヤルアップでのインターネットはまだ制限が多く、まだ多くの人がFPSの対戦というものを味わったことがなかったと当時を振り返っている。
Interactive Achievement Awardsの授賞式での記念写真 |
『ゴールデンアイ』が残した遺産
『ゴールデンアイ』が発売されて4年後、もうひとつのコンソールFPSの伝説的なタイトルがXboxで発売された。『Halo: Combat Evolved』(以下Halo)だ。
Xbox版はインターネット対戦には対応しておらず、画面分割による4人(Xbox Linkを使えば最大16人対戦が可能)対戦のマルチプレイモードが搭載されていた。ファンたちは相変わらずレアの新作を待ち望んでいたが、プレイヤーがコントローラーを持ち寄ってFPSで対戦するという風景は『ゴールデンアイ』から『Halo』へと引き継がれた。
『ゴールデンアイ』のせいで留年した!といった開発者にとっては大変名誉な苦情を何度も受けたとHilton氏は語る。
ゲームに寄せられた様々な感想を思い出し、その多くが「友人や兄弟姉妹と一緒に」という幼少期の思い出とともに語られていることがうれしいと語るのはDork氏だ。氏は今でも「カウチベース」のマルチプレイが好きで、今のゲームからは同じ部屋でだらだらとゲームをして過ごす良いソーシャル体験が消えつつあるという。
職場でのDavid Doak氏 |
『ゴールデンアイ』の未来
FPSのマルチプレイがインターネット越しになった今でも『ゴールデンアイ』は人気を博している。インターネット時代に『ゴールデンアイ』を再び輝かせたのはYouTubeやTwitchなどのストリーミングサービスを利用したスピードランだ。『ゴールデンアイ』スピードランの本拠地であるrankings.the-elite.netでは98年からスピードランナーたちが自身の記録をアップロードしている。
スピードラン要素は偶然にも『ゴールデンアイ』自体にも存在している。特定のマップを設定された時間よりも早くクリアすることでチートコードがアンロックされるのだ。
『ゴールデンアイ』の発売以来、斜め45度で歩けばまっすぐ進むより1.4倍の速さで移動でき、地面を向いていればフレームレートがよくなるなどといったさまざまなテクニックが編み出されている。
Clark氏はスピードクリアでチートがアンロックされることも素晴らしいが、スピードランに挑戦すること自体が中毒的だったと語る。チートコードのための制限時間がスピードランの招待状になった。特に無敵モードがアンロックされる、化学工場を難易度00エージェントの2分5秒以内にクリアという目標は伝説的だという。
開発者から見てもこの楽しまれ方は予想を超えたものだったようだ。Dork氏はファンたちのこの活動を「ゲームが開発の意図を超えた素晴らしい人生を得た」と語っている。
「駅」マップの初期案。開発チームによってマーカーやメモが書かれている。Karl Hilton氏提供 |
シューターの長い歴史の中で『ゴールデンアイ』ほど後世に影響を与えた作品はないだろう。3Dで表現された空間に、同じく3Dで描かれた敵や民間人が登場するゲームは本作以前には寡聞にして知らない。人間が登場するだけにAIも優れており、ただこちらに向かって襲ってくるだけの単純な物になっていない。(興味がある方はGamastraのThe AI of GoldenEye 007にも目を通してみて欲しい。)
多くの点でまさに現代的なFPSの祖といえる作品だ。もし家にほこりをかぶったニンテンドウ64と『ゴールデンアイ』があるのなら、いまこそもう一度プレイしてその先進性を確認してみて欲しい。
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